行動不能状態とは

かくいう状態を言うものであるか。

昨日、私大の不合格通知がきて、受ける教科も違えば形式も違う、いわば本命とはまったく関係のない大学なのにも関わらず、とんでもなくテンションだださがりしたわたしです。
行く気もないしやる気もない入試でしたし、いらないと決まってから一分さえも時間を割いていない数学があって、案の定死亡したわけですので、理論的に言えばわたしには関係がないはずです。
けれども、このような結果はやはりわたしの心を締め付けるのであった。完。


までだったら、まだ気持ちの整理もつくのですがね。
昨日、そのようなお手紙が来て、うわああああっとなって、それから母、そして祖父母に励まされまして。
なんとなくどうしようもない気分になって、気晴らしに外出したもののそんなことで気が晴れるわけはないのであった。


それで、父が帰ってきた。
言いづらいじゃないですか。常識的に考えて
そしたら、父が「本命の入試はいつ?」と聞いてきた。
たぶん、母が伝えたんでしょうねえ。それで、いいよどんでいるわたしに先手を打ったに違いない。
残念な結果を伝えると、まあ父もわたしが思ったことと同じようなことを言いました。つまりは、本命には1mmも関係のないことなんだから忘れろとかね。
でも、ひとつ思い違いだったのは、母は父に伝えてなかったみたいなんです。
それを知ってわたしは、「そういうことは自分で言うべきことだから、伝えてたら嫌だった」って言ったんです。


もちろん他意なんてありゃしません。
だけど、それをどうとらえたのでしょう、母は泣きながら父に訴えていたそうですが、曰く、
「自分は二人を実の子供のように思っているけれど、あの子はそうではなかったみたい」


いったいどこをどう取ったらそのような解釈になるんでしょう。
おそらく、不合格通知がきた後、祖父母の家にいて、慰められていたのがいけなかったんでしょうか。まるで、わたしが「本当の家族は祖父母である」と考えているようにも思えなくはありませんね。頑張れば。
それにつけて、わたしのした発言は、「本当の家族ではない人にわたしの情報を喋ってほしくはない」とでも解釈されたのでしょうか。心外でございます。


父からメールをもらって、初めてそのような事態になったことを把握いたしました。
父曰く、
「溝ができたら大変だから、それとなく謝って誤解を解いておいてほしい。大変なのは分かるけれど、家族みんなで応援しているのだから、少し母のことも思いやってくれ」


妥当です。妥当ですね、父として妥当な言葉です。
でもわたしには別の影を落としてしまいました。
その言葉を読んだときに、最初に思ったのは
「どうしてわたしがこの時期に、こんなことまで考えねばならぬ」
でした。
ほかのお宅がどうかなんてことは知りゃしませんし、腫れ物にさわるような扱いを望んでいるわけではございませんが、敢えて逆にこう言いたい。「この時期くらいわたしのことだけ考えさせてほしい」
これまでだって、家族の裏の事情をぜんぶ背負わされてきたんです。大人はどうしてわたしにばっかり愚痴をこぼすのか。それにつけて、わたしは杞憂が過ぎる性格ですから、青春と言うには些か暗い生活を送ってきたわけです。
そのメールを読んだ瞬間、わたしのなかから、


「どうしてこのような時期に再婚をしたのか」
「どうしてわたしは母と打ち解けられないのか」
「どうしてわたしは素直でないのか」


といったたくさんの疑問や事情がどんどん沸き上がるのを感じました。
この気持ちはいったいなんと呼べばいいのか知りませんが、きもちのよいものでないことは確かです。
けれどなんとなく、八つ当たりに似ていて、とても幼稚な、くだらない感情だとも思います。


ああ、わたしなんていなかったことになればいいなあ!


さて、気が進みませんが、母に話しかけてみようと思います。
誰が好き好んで、自分に対して壁を持ってしまったであろう人間に近づきたいと思いますか。
死にたいとは思いませんが、どこか遠くへ行きたい。
切実に、わたしの話を聞いてくれる人がほしいです。
わたしが怒り出そうと泣きだそうと、だまって肩を叩いてくれるような人がです。それでいて、わたしを否定せず、慰めてくれるような人がです。


まったく勝手な話です。
あきらめて、ぬいぐるみにでも話しかけておきましょうか。



王様の耳は、ーーー!